現代流行双六(1901)

良家のお嬢さんの暮らしへの憧れ 〔大正期〕

1901  

第1回国勢調査が実施されたのがこの双六と同じ大正9年。当時、人口も平均寿命も現在の半分ですが、15歳未満の人口の割合は現在の3倍です。

就業者の過半数が第一次産業に従事し、例えば農家に生まれた女子は農作業や家事を助け、結婚・出産・育児を前提とした人生を送ることを当然のことと受け入れていたことでしょう。

振出しは、きれいな着物をまとって自動車でのお出かけから始まり、さっそうと自転車をこぎ、夜会での洋装など、全国の子どもたちが憧れる“いいとこのお嬢さん”の暮らしぶりが描かれています。

「洋行」は実業家の父か、高等遊民の兄が欧米へ遊学する見送りでしょうか。上りは、父のような資産家との披露宴です。

明治婦人双六(1910)

就学率が高まり「良妻賢母教育」が推進された 〔明治後期〕

_1910 

明治40年に小学校6年制の義務教育が確立し、女性の就学率が37%から96%へと向上しました。

明治時代の女子の教育は、本分を「妻母」であるとみなし、育児と家庭創造の能力を高めることを目標としていました。

良妻賢母を理想像として掲げ、男子に比べて著しく低い、技芸にかたよった教育が高等女学校を中心として実施されていました。

振出しが4つあり(くじを引いて決める)、「女工」「令嬢」「女学生」「女中」となっており、家庭環境が反映された始まりとなっています。

「裁縫」「料理」「掃除」「洗濯」などの家庭内の役割や仕事を紹介しつつ、伝統的な仕事として、「女絵師」「手工」「女髪結」、新しい職業として「女教師」「女医」「女事務員」「看護婦」「電話交換手」などがみえます。

上がりは「一家団欒」で、高齢の義父母、夫、子ども3人がゲームを囲んでいます。典型的な良妻賢母のシーンです。

当世少女すご六(1917)

 

婚礼需要によって発展した百貨店 〔大正期〕

_1917 

大正時代,消費市場が飛躍的に拡大し、百貨店は都市部だけでなく地方都市でも設立されるようになりました。

婚礼は,百貨店にとってターゲットを広げる貴重な機会。婚礼支度という大きな需要に的確に応えた百貨店は、売上高を増加させていきました。

双六には、婚礼に至るまでの少女のライフステージが描かれており、その時々における百貨店とのかかわりというマーケティング戦略を読み取ることができます。

振出しは「家庭」から始まって、「幼稚園」から学校に入学・卒業、そしてあこがれの職業「事務員」「婦人記者」と人生のステージを歩んでいきます。

当時の女性観が伺えるのが「看護」、また、女性としてのたしなみごとを身に着けるための「行儀見習い」などが見えます。

「誘惑」では、何やら手を引かれています。その先には「新しい女」があります。「新しい女」とは、当時の辞書には「古来の因襲を脱して婦人の地位を時代的に、思想的に、自覚して活動する婦女子。又は新奇を追い、女としてある間敷き行為をする女。出過ぎた女。モダンガール」と書かれています。

女性たち、とりわけ「新しい女」たちにとっては、必ずしも穏やかで生き易い時代ではなかったはずです。

スポーツすごろく(1950年代中頃)

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(55×79cm)ナゴヤ玩具。発行年は不明ですが、昭和30年前後でしょうか。
「ふりだし」には別当薫、③ホームランには大下弘、⑤バッターには川上哲治、⑬ストライクには若林忠志、戦後を代表するプロ野球選手が登場しています。
⑫ボートレースがみえます。ボートレースは1951(昭和26)年にモーターボート競走法が制定され、翌1952年に長崎県大村市の大村ボートレース場で初開催されました。これは世界で初めて行われた、公営競技としてのボートレースだそうです。

少女ベビーゴルフ双六(1932)

1932 

(55×79cm)「少女の友」第25巻第1号附録 昭和7年1月

ベビーゴルフのコースに従ってコマを進める双六です。
ベビーゴルフとは、短い距離をパターだけでおこなうもので、遊園地などに設置されました。
昭和6(1931)年に大流行し、多くのベビーゴルフ場が開園しています。

コドモアソビソゴロク(1917)

1917 

(55×39cm) 幼年画報第12巻第1号付録 大正6年1月発行

10月のマス目の「ひこうき」で描かれている飛行機の主翼には「スミス」とあります。

1916(大正5)年と翌1917(大正6)年に日本各地で曲芸飛行をおこなった、アメリカ合衆国のアート・スミスのことだと思われます。

多くの子どもたちに、空への憧れを抱かせたことが伺えます。

ウンドウ双六(1930)

1930 

(40×55cm)

エウネン 第15巻第1号付録(昭和5年1月発行)

上がりを含めて、それぞれのマス目には女の子・男の子が描かれています。例外として、ボクシングは男の子のみで、遊びに性差が表れています。

男性優位社会で創られてきた国際スポーツのなかでも、ボクシングはオリンピックで女性への門戸開放がもっとも遅かった競技です。2016年ロンドン五輪から正式競技として採用されました。

わかもと戦争将棋

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昭和13(1938)年

 「わかもと」は昭和4年(1929年)に若さの素、新栄養剤『若素(わかもと)』の名称で発売され、家庭薬として話題になりました。「わかもと戦争将棋」は、販促用に発行されたものと思われます。

 発行された昭和13(1938)年は、泥沼化していた日中戦争がさらに長期持久戦へとなっていく時代でした。戦争遂行(すいこう)のため国民生活の全分野を統制する権限を政府に与える「国家総動員法」が成立、国民生活は大きく制限されました。

 

戦前・戦中における軍事教練用の小銃

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(銃:全長127cm、重量3.1kg)

戦前・戦中に中等学校以上の学校における軍事教練用に製造された小銃です。

「38」とマークされていることから、三八式歩兵銃の外観を模したものと思われます。

射撃機能、空砲機能はありません。

 

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読売ニュース焼付版(昭和18年)

静岡県の高根女子青年学校の全校執銃訓練

 

 

フリーランス・スケート(オランダ・1940年頃)

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1940年頃にオランダで使用されていたスケートです。

14世紀から、ブレードが木で作られたスケートがオランダで使用され始めました。17~19世紀頃になると上の写真のようなブレードの部分が鉄で出来たスケートが使われるようになり、ブレードの上に靴を載せて、紐で結んで滑れるようになっていました。

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