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剣道は第2次大戦後、GHQによって社会体育及び学校体育にて禁止されました。その理由は、軍国主義の鼓吹の役割を担い、軍事訓練の一部として重んぜられたことによります。
1950(昭和25)年、剣道を母体とし、新しいスポーツとして考案し認められたものが「撓(しない)競技」です。従来の剣道と同様に竹刀で相手の面、小手、胴、喉頭部を打ったり突いたりして勝敗を競いますが、その行為の解釈に関する文化性を排除、武道色を払拭しスポーツとして特化させています。
1952年(昭和27年)4月、中学校以上の正科に採用されることとなり、その手引書として、本資料は発行されたものです。
しかし、撓競技が実際におこなわれた期間は短く、講和条約が発効した1952年10月に全日本剣道連盟が結成されると、撓競技と剣道の合併が議論されるようになり、1954年(昭和29年)に全日本剣道連盟に統一をみたことによって、撓競技は廃止されましたが、そのルールの一部は剣道に引き継がれています。

「バドミントン」の名称は、このゲームの原型がイングランド南西部のグロスターシャー(州)バドミントンにあるボーフォート公爵邸で生まれたことに由来しています。
日本において競技的なバドミントンが明らかな記録として現れるのは1931~32年で、横浜の外国人スポーツクラブ(YC&AC)で競技としておこなうようになってからです。敗戦後、横浜YMCAを中心に活動が再開され、1947年に日本バドミントン協会が設立され、日本体育協会に加盟、翌年には第1回全日本選手権が開催されています。
1949年には国民体育大会に公開競技として採用され(翌年には正式競技)、1950年にはインターハイ、インカレ、1951年には実業団選手権が開催されるようになりました(『スポーツ大事典』大修館書店)
この競技用具は、バドミントンの用具一式とルールブックが入っています。まさにバドミントンが日本に急速に普及していった時代を物語るものです。