健康優良児 表彰メダル(1933)
日本一の桃太郎さがし
1930年に始まった朝日新聞社主催の「日本一の健康優良児」表彰制度のメダル
健康優良児の表彰制度は、文部省の後援により始められました。全国の小学校から、1930年2月現在で5学年に在学中の体格はもとより学力・体力・操行の優秀な男女1人ずつの推薦を求めて、まず各地方長官を会長とする地方審査会が予選を、次いでを文部科学省普通学務局長を委員長とする中央審査会が、最終決定を行って表彰しました。
翌31年からは、その4月に6年在学中の児童を対象に、折から高まってきた「健康国策」にもっとも適合する事業として、毎年はなばなしく実施されました。日中戦争本格化後の1938年からは、優良児たちを育てた「母」も表彰されることとなりました。
日本一の健康優良児を「桃太郎」になぞらえ、端午の節句に表彰をおこない、「桃太郎さがし」とも呼ばれました。表彰児童には北村西望作桃太郎銀杯が与えられました。
1978年に目的を達成したとして打ち切られています。
(『朝日百科 日本の歴史別冊 歴史を読みなおす 桃太郎さがし-健康観の近代』pp.26-27)
最初の年の審査結果は『全日本より選ばれたる 健康児三百名』という本に詳細にまとめられています。その序文では次にように謳っています。
「今回の企に就いて注意すべき一事は、従来児童の健康調査は、ただ健康の一点のみから観察されたのであったが、この企に於ては、先天的に恵まれている体質と教養育に於ける後天的要素とを加味した健康を60点とし、運動能力に30点、学術操行に10点を与え、以て三育の理想的な融合を100点としたところにある」
戦前、健康優良児に選ばれた子どもたちは戦中に不幸な運命をたどったことも指摘されています。いちはやく招集され、1930年から37年までの間に「特選優良児」(1930年代には20名)に選ばれた男子のうち50%が死亡しています。日本陸軍でさえ18%でした(北澤一利『「健康」の日本史』)。












