収蔵資料B-b 武道・日本相撲

木銃(1940~45年)

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(166cm)     

戦時中、中等教育以上の教育機関で実施されていた銃剣道の「木銃」です。

「小野工學校」の焼印があることから、旧制・兵庫県小野工業学校で使用されていたと思われます。

紀元2499年 建国精神発揚 児童武道大会参加章(1939)

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国民精神中央連盟 (3×4cm)

「海ゆかば」

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写真は、航空自衛隊奈良幹部候補生学校内にある武道館に掲げてある扁額です。
「海ゆかば」の歌詞が一部変えられた歌のようです。
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ ⇒大いなる義
かへりみはせじ

 

『銃剣道』(昭和16年)

中学校の新学習指導要領(平成29年7月告示)で、中学校の保健体育の「武道」に新たに「銃剣道(じゅうけんどう)」が加えられました。銃剣道とは、旧日本軍の戦闘訓練であった「銃剣術」の流れをくむものです。

銃剣術の目的については、「白兵の使用に習熟せしめ、特に剛健なる気力及胆力を養成し、以て白兵戦闘に於ける必勝の確信を得しむるに在り」(陸軍省検閲済『剣術教範』昭和4年)とされていました。

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戦前における「殺傷」のための銃剣術から、現代の銃剣道への変遷については、『全日本銃剣道連盟四十年史』(1997)では、次のように謳っています。

 

「昭和31年4月、従来の銃剣道技術のうち戦技的部分を拭い去り、純スポーツの形態に改めてこれをもって広く国民、特に青少年の人間形成に資するためスポーツ銃剣道として新生をみたものである。

従って今日の銃剣道は過去のそれに比べて全くスポーツとしての性格をもつものであるが、その根底を流れる道としての特性が、ただ単にスポーツマンスピリットだけでなく現代社会人として特に希求される強靭な体力・気力は申すまでもなく道徳性即ち謙譲礼節、克己等々もろもろの精神要素がその修練の中に芽生える格好のスポーツである」。

 

また、同連盟公式ウェブサイトでは「修練の目標や理論、使術等については槍術や 剣道と全く同様のものであり、 現代社会人としての人間形成に資する」としています。

 

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くすり広告 清妙膏 万金膏

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(27.5×39cm)

体格がよく、力強い力士は、薬の宣伝によく用いられるモチーフです。

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日奈久の板相撲

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熊本県八代市日奈久温泉の木製玩具です。

力士の両腕の真ん中の穴に棒を差し込んで動かすと、相撲をとります。

天保年間、肥後国で名をはせた関取「嶋ヶ崎宇太郎」は横綱に挑戦しようと江戸に向かう途中で両国回向院の阻止に逆らい、毒殺されことから、嶋ヶ崎を偲んで作られたとも伝えられています。

大日本武徳会長野支部(現 長野県警察本部体育館)

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(絵はがきより)

現在は「長野県警察本部体育館」となっています。

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2015年12月撮影

起倒流伝書 『天巻』

 

起倒流は、天神真楊流とともに講道館柔道の基盤となった流派として知られます。

起倒流には今日に伝わる重要な伝書が5巻(『本體』『天巻』『地巻』『人巻』『性鏡』)あります。

 『天巻』には、起倒流の最重要概念である「本体」が説明されています。 

 

当流に、本體と云ふことを始めに示す。本體とは何を云かとなれば、心裏虚霊にして神気不動の貌をさして云ふ。敵に対するに爰に敵ありとの意起るときは、動ずるもの顕はる。動ずるに至りては一身空し。敵と見てしかも不動。虚霊にして安泰する所、本體備はるなり。是を不動智と云ふ。

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大日本武徳会

 大日本武徳会は、1895(明治28)年に各武術、各流派を統轄し、国民の士気の高揚と武術の保護・振興をはかるために設立された組織で、皇族を総裁にし、各府県に支部を置き、知事を支部長とする半官半民組織の巨大な勢力をもっていました。日中戦争下の1938(昭和13)年には会員数は300万を越えていました。

  1946年(昭和21年)、GHQ指令により強制解散となりました

大日本武徳会会員之証 会員之章

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台湾に現存する旧武徳殿

 日本統治時代、武道と尚武精神を広めるため、大日本部武德会が台湾の各地に武德殿を建てて、武道館としました。

  戦後、さまざまな用途に転用され、荒廃していたところもありましたが、1990年代末には多くが文化財に指定、整備され、日本文化の紹介、観光、文化施設などに使われています。

台南・忠義小学校講堂 (大日本武徳会 台南支部)

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彰化市武徳殿

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1930(昭和5)年落成

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高雄市武徳殿 (大日本武徳会 高雄支部)

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1924 (大正13)年落成

「大日本武徳会」高雄支部であり、「振武館」と呼ばれていました。現在、剣道の稽古もおこなわれています。

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高雄・旗山武德殿藝文中心(旗山武徳殿

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1994年の火災によって外壁を残し消失、2000年には再建工事が行われましたが、屋根全体に強化ガラスが採用されたため、不評を買っていました。その後、カフェとして使用された期間を経て、2014年には再度、修復工事が行われました。現在は展示ホールになっています。

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 旧武徳殿の背後に広がる中山公園は、終戦まで鼓山公園と呼ばれていました。旗山神社が鎮座し、山全体が神苑とされていました。

 現在は復元された参道脇には、これまた復元された石灯籠が並んでいます。参道を上がった先は、「高雄市孔子廟」によって削り取られてしまっており、わずかに神社があったことを示すモニュメントがあります。

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 第5代台湾総督佐久間左馬太が記号した「精忠護国」碑は今も往時の姿を留めています。

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女相撲 ②高玉一座

高玉一座

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(明治末期)