中学校の新学習指導要領(平成29年7月告示)で、中学校の保健体育の「武道」に新たに「銃剣道(じゅうけんどう)」が加えられました。銃剣道とは、旧日本軍の戦闘訓練であった「銃剣術」の流れをくむものです。
銃剣術の目的については、「白兵の使用に習熟せしめ、特に剛健なる気力及胆力を養成し、以て白兵戦闘に於ける必勝の確信を得しむるに在り」(陸軍省検閲済『剣術教範』昭和4年)とされていました。
戦前における「殺傷」のための銃剣術から、現代の銃剣道への変遷については、『全日本銃剣道連盟四十年史』(1997)では、次のように謳っています。
「昭和31年4月、従来の銃剣道技術のうち戦技的部分を拭い去り、純スポーツの形態に改めてこれをもって広く国民、特に青少年の人間形成に資するためスポーツ銃剣道として新生をみたものである。
従って今日の銃剣道は過去のそれに比べて全くスポーツとしての性格をもつものであるが、その根底を流れる道としての特性が、ただ単にスポーツマンスピリットだけでなく現代社会人として特に希求される強靭な体力・気力は申すまでもなく道徳性即ち謙譲礼節、克己等々もろもろの精神要素がその修練の中に芽生える格好のスポーツである」。
また、同連盟公式ウェブサイトでは「修練の目標や理論、使術等については槍術や 剣道と全く同様のものであり、 現代社会人としての人間形成に資する」としています。
大日本武徳会は、1895(明治28)年に各武術、各流派を統轄し、国民の士気の高揚と武術の保護・振興をはかるために設立された組織で、皇族を総裁にし、各府県に支部を置き、知事を支部長とする半官半民組織の巨大な勢力をもっていました。日中戦争下の1938(昭和13)年には会員数は300万を越えていました。
1946年(昭和21年)、GHQ指令により強制解散となりました。
大日本武徳会会員之証 会員之章
台湾に現存する旧武徳殿
日本統治時代、武道と尚武精神を広めるため、大日本部武德会が台湾の各地に武德殿を建てて、武道館としました。
戦後、さまざまな用途に転用され、荒廃していたところもありましたが、1990年代末には多くが文化財に指定、整備され、日本文化の紹介、観光、文化施設などに使われています。
台南・忠義小学校講堂 (大日本武徳会 台南支部)
彰化市武徳殿
1930(昭和5)年落成
高雄市武徳殿 (大日本武徳会 高雄支部)
1924 (大正13)年落成
「大日本武徳会」高雄支部であり、「振武館」と呼ばれていました。現在、剣道の稽古もおこなわれています。
高雄・旗山武德殿藝文中心(旗山武徳殿)
1994年の火災によって外壁を残し消失、2000年には再建工事が行われましたが、屋根全体に強化ガラスが採用されたため、不評を買っていました。その後、カフェとして使用された期間を経て、2014年には再度、修復工事が行われました。現在は展示ホールになっています。
旧武徳殿の背後に広がる中山公園は、終戦まで鼓山公園と呼ばれていました。旗山神社が鎮座し、山全体が神苑とされていました。
現在は復元された参道脇には、これまた復元された石灯籠が並んでいます。参道を上がった先は、「高雄市孔子廟」によって削り取られてしまっており、わずかに神社があったことを示すモニュメントがあります。
第5代台湾総督佐久間左馬太が記号した「精忠護国」碑は今も往時の姿を留めています。
不明
(明治末期)