収蔵資料A 国際スポーツ

フリーランス・スケート(オランダ・1940年頃)

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1940年頃にオランダで使用されていたスケートです。

14世紀から、ブレードが木で作られたスケートがオランダで使用され始めました。17~19世紀頃になると上の写真のようなブレードの部分が鉄で出来たスケートが使われるようになり、ブレードの上に靴を載せて、紐で結んで滑れるようになっていました。

紀元2499年 建国精神発揚 児童武道大会参加章(1939)

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国民精神中央連盟 (3×4cm)

第2回全日本スキージャンプ大会甲子園大会 参加徽章(1939)

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1939年2月18日に甲子園球場で開催されました大会のバッジです(4cm)

下の写真は、第1回大会(1938年1月10日)のものです。大阪毎日新聞社主催で新潟妙高山から貨車で雪を運び、外野席の2倍、高さ30メートルのジャンプ台を築き、実施されました。

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日本サーフィン発祥の地は2020オリンピック会場???

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日本におけるサーフィンは1960年代、神奈川県の湘南や千葉県の外房で米国人らが伝えたのが先駆けとされています。
それより四半世紀以上前、波乗りをしている子どもたちです。
大正7(1918)年~昭和7(1932)年に発行された、絵はがきです
千葉県大原海水浴場(現在のいすみ市大原)で撮影されたもので、中央には細長い板を持つ子ども、その向こうにはボディボードのように波のりをする子どもたちの姿が見えます。
大原は2020年東京オリンピックのサーフィン競技の会場である千葉県長生郡一宮町釣ヶ崎海岸とは直線距離にして10kmしか離れていません。
『東京新聞』2015年11月25日「こちら特報部」には、日本最古の波乗りの記録が掲載されていますので、引用します。
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 日本最古の波乗りの記録は1821年。山形県酒田市の俳人、独楽庵寛理が山形県の湯野浜温泉を訪れた際に記した「湯野浜温泉湯治紀行に記されている。
 「12、13歳ぐらいの子供たちが10人ばかり、手に手に船の板を持って荒波の中へ飛び込んで、沖へ沖へと乗り出していく。7町(約760メートル)ばかりも沖へ出たかと思うと、今度は岸に向かって戻ってくる。その速いことは矢のようである」
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1930年 スキーとスケート『美津濃の冬の用品』

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  A5版18ページ

 

昭和30年ころ スキー板・スキー靴

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板はMIZUNO製

板には膨らみがあり、合板ではなく単体の板からできています。

ストックは竹、リングは籐で作られた輪を革でシャフトに固定しています。 

靴はひもで締めるタイプで、内側と外側(ひも欠損)の両方を二重にひもで締める「ダブル」と呼ばれる靴。

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カンダハー

踵をワイヤーで固定する「カンダハー」と呼ばれるビンディング(締具)。

靴の先端を革紐で固定し(欠損)、前方の金具で踵をワイヤーでつま先方向に引っ張り固定します。

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スキーを止めたり、ターンするときに重要な役割をするエッジ。

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下駄スケート

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竹下駄

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ぞうりに竹をはり付けた「竹下駄」

下駄スケート 紐固定

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鼻緒についた紐で足首に固定させるタイプ

雪スケート

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下駄スケートの後に登場した「雪スケート」です。雪スケートは、金属製の歯を皮バンドで長靴に固定して滑走するもので、雪の上で滑って遊んだことから、そのように呼ばれるようになったようです。「機械スケート」とも呼ばれたり、また歩くとガチャガチャと金具が音を立て、ガチャ、とか、ガチャスケートとも呼ばれていました。